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思い出のプンパニケ

Categoryむかしの話
そのむかし、齢29にして泉下の客となった私の父ですが、外国航路の船乗りでした。

と言ってもね、まるにゃん父の記憶はほとんどないのです。
父が船上で事故死したという知らせが来た時、まだ4歳でしたからね。

それに1年のうち10ヶ月を外国で過ごしていた父なので、小さな子供の記憶にほとんどとどまらなかったとしても当たり前ですよね。

細かくいうと、「5ヶ月海外で1ヶ月日本」というのが1クールで、
つまり半年に1度日本に戻ると1ヶ月まるまる家で過ごし、また5ヶ月外国航路の船乗りとして働き、1ヶ月自宅。
そういう生活だったらしいです。

そりゃね、生まれた時からずっとそんなじゃ、父の記憶がなくても仕方ないですよね。

逆に父にしたって、我が子と過ごしたのは通算約8ヶ月ほどしかなく、つまり記憶もそれしかないまま、29という若さで天に召されてしまった。




「今ね、まるにゃんちにね、オトウサンっていうヒトが来てるよ」

父が帰宅している時、お隣に遊びに行ってそんなことを口走っていたそうです。


「オトウサンよ」

「オトウサンだよ」

おそらく母が、
もしかすると父本人が、
そんなふうにまるにゃんに言っていたんだと思います。

「オトウサン」っていう名前の人が家に来てる、
そう解釈していたんでしょうね。
まだ幼かったので、よその「オトウサン」はずっと家にいるのに…のようなことなんか考えもしなかったでしょうしね。


けどね。
すごく不思議なんですけど、まるにゃん父の死の知らせが来た時のことを憶えているんです。
まだ4歳だったけども、幼児ながらにその状況がとても強烈だったのかもしれません。

「かもしれません」っていうのは、その時の状況の細部までものすごく細かく記憶しているというのに、なぜか「感情」の部分が完璧に欠落しているからなんですよね。

4歳の子供の心にその時どんなふうな衝撃があったのか、「感情」の記憶がまったくないのでわからないのです。

ただ、不必要なほどに細かいことまで記憶しているという事実から、何らかの強い衝撃があったのだろうとは想像できる、というだけで。





まるにゃんその時、プンパニケのサンドイッチを作っていたのです。

↓こんなヤツです。




「プンパニケ」は幼児だったまるにゃんだけの言い方で、じっさいは「プンパニッケル」と日本では読んでいて、ドイツのライ麦パンのことです。




父が船の上で事故死したのは日本時間で1月2日のこと。
けど死の知らせが日本の家族のもとに届いたのは1月4日だったそうです。

そのせいなのか、1月2日は「お正月」のお祝い気分の真っ最中だから避けたのか、どっちかはよくわからないけれども、父の命日は1月4日ということになっています。

事故が起きた時、船は南極海のど真ん中を航行中だったそうですけど、
なんだか海だか船だかのキマリゴトみたいなのがあって、最寄りの港から○○海里以上離れていたら…っていうようなマニュアルに従って、父の遺体は船員だけの簡易な葬儀のあと、ゆっくりと南極海に沈められたそうです。

甲板をバイクで移動しなければならないようなバカでかい船の積荷のなかには「そういう場合用の木製の箱」ももちろんあるのだそうで、
息をしなくなったことを船医が確認した若い遺体は、木の箱に入れられて南極海の底へと沈んでいったんだということです。

その航海を終えて船が日本に帰港した際、それが小さく新聞の記事になっていたことを知ったのは、母が死んで遺品を整理していた時です。

引き出しの奥に小さくたたまれた新聞の切り抜きが出てきて、拡げてみると、父が死んだ年の父が乗っていた船の帰港の記事でした。

「○○丸 涙の帰港。亡き3名の志と共に」

驚いたことに、その船ではその半年の航海中に、父以外にも二名の死者が出ていました。
父以外は病死でしたけど、同じ船で半年で3名というのはあまりに呪われた話だろうということで、新聞の記事になったりしたのでしょうね。





そういえば母の生前、母が死ぬちょっと前、こんな会話をしました。

「外国航路の船乗りとだけは結婚しない方がいい」

「どうして?」

「海に沈められて、死んだのが本当かどうかわからない」

「ふむ」

「骨つぼに爪と髪の毛しか入れられない」

「ふむ」

「葬式を上からヘリコプターで撮影される」

「ふむ」

「毎日毎日船に送る写真ばっかり撮らされる」

「ふむ」

「子供があんたみたいに育つ」

「ふむ」

「以上」

「ふむ、最後のがいちばんわかりやすいね」







そうそう、父が死んだと聞いた時の話だった。

プンパニケのサンドイッチをね、祖母と作っていたのです。

どういう事情や理由があったのかはわからないけれども、まるにゃんその時母方の祖母の家にいました。
祖母の家でプンパニケを作っていたのです。

プンパニケ=プンパニッケルの夕食を祖母と一緒に作っていたので夕方だったはずでした。
お正月が明けたばかりの真冬だったから、当たり前だけど窓の外はもう真っ暗だったはず。
(そのへんはあまり記憶にはない)

プンパニッケルはいつも父が祖母(母の母)に送っていた物のひとつで、祖母は大好物だったんだそうです。
(これもあとで聞きました)

祖母にしたら娘婿にあたる父でしたが、仲良しだったらしいです。
それで父は海外から直接祖母へ宛ててよく色々と舶来物(死語?)をプレゼントしていたと。


プンパニッケルはドイツではごく一般的ないわゆる黒パンですけど、独自の滅菌技術を用いて作られていて、オーガニックで添加物いっさいなしなのに、開封しなければ半年以上はもつというすごいパンだったんですよね。

日本にはそんなに長持ちするパンなんてなかったので、郊外に1人暮らしで買い物が大変だった祖母は重宝していたんだということです。
(今では日本でも簡単に手に入ります)

開封後は冷凍室で2ヶ月くらいはもつのよと、以前母が説明してくれました。






↑記憶しているのは丸い形のパンなので、おそらくこんな感じで缶入りだったと思います。
同じものかどうかはわからないですけど。



「プンパニケ」を作っていた、
とさっき書きましたけど、じっさいは祖母が作っているのを横から邪魔してハムやチーズをつまみ食いしていたのです。

そこへいきなり玄関のドアをぶち破るような勢いで飛び込んできたのが、隣家のおじさんでした。

「まるにゃん! 大変だ! オトウサンが死んだ!」


おばあちゃんちのお隣のおじさんがいきなり飛び込んできてまるにゃんに向かってそう言ったのです。
4歳のまるにゃんにです。

そういうことを伝えるのにふさわしいはずの大人である祖母にでなく、間違いなく4歳児のまるにゃんに向いて、お隣のおじさんははっきりと父の死を告げました。


まるにゃん何か言葉を発したかどうかは憶えていません。
それより、ガチャーン!と恐ろしいような音がして、音のした方へ顔をやると、祖母が腰を抜かして転がっていて、床や祖母のワンピースの裾がガラスのカケラまみれになっていました。

「腰を抜かして」というのは、今だからできる表現だけれども、
間違いなく祖母は「腰を抜かして」いたんですよね。
「腰を抜かす」とはこういうことか、というまるで「腰を抜かす見本」みたいに、祖母は床にひっくり返って手足をわなわなさせていました。

立とうとするんだけど、何度床に手をついて身体を起こそうとしてもできないんですよ。
ほんと、冗談みたいに同じ動作を繰り返していてまるでコントみたいでした。



「スミさん、危ない、動いちゃダメだ、ガラスが危ないって」

お隣のおじさんが祖母の周りに散らかったガラスの破片をスリッパで集めていて、ジャラジャラと音がして。


「ひでちゃんが? どうしてひでちゃんが?」

祖母はそれしか言えず、おじさんの言うことを聞かないでツルツルしたパイン材の床の上で動き回るので、手足をいっぱい切ってどんどん血だらけになっていくのです。


まるにゃんそれをじっと見ていたのだけど、お隣のおじさんが獣のような声を出して嗚咽し始めたのでおじさんの方に目を移したのです。

おじさんは青と白のシマシマのワイシャツを着ていたのだけど、ガラスをスリッパで集めながら袖を腕まくりしたとこのシマシマの白のとこに、
ピッ、と祖母の血が飛んだ瞬間をまるにゃん見ていました。


どうしてそうなったのか、これもよくわからないんだけども、作りかけのプンパニケの上にも、祖母が割ってしまったガラスのカケラが降ってキラキラしていました。

祖母がガラスの食器を割りながら腰を抜かした場所は、記憶によるとまるにゃんがいた部屋の外の、キッチンへ続く通路のところだったので、そこから2メートル以上は離れていたはずのテーブルの上までガラスの破片が飛び散ったのは、今考えると不可解ではあるのです。

けど確かにそれを見た、と記憶が言っているのです。


「まるにゃん、こっち来ちゃダメだぞ、そこにじっとしてるんだ、ケガしちゃうからな、じっとしてるんだぞ」

お隣のおじさんがまるにゃんにもそんなふうに必死で叫んでました。

おじさんは嗚咽のすきまで大きな声で、怒鳴るようにしゃべり続けていました。

「お母さんから電話があったんだよ」

「こっちへかけたけど誰も出ないって」

「本みたいな分厚い電報が来たけどカタカナばっかりで読めなかったって」

「近所の人が一緒に読んでくれてやっとわかったって」

「お母さんこっち来れないって」

「おじさんが明日連れてくから大丈夫だからな」

「ひでちゃんは本当にいいやつだった」

「なんでひでちゃんなんだ」

「なんでひでちゃんなんだよこのやろう子供がこんなに小さいのに」



お隣のおじさんはいつまでも嗚咽しながらガラスを集めていて、祖母はいつまで経っても床から立てなかったのです。



記憶はここまでしかないんだけれど、けどおじさんの言葉は、耳の奥への感触のレベルで記憶されていて、いまだに一言一句違えずに想起できるのです。






なぜ「プンパニケ」のことを思い出したかというと、最近個人的にめちゃくちゃ気になるカルシウムのことを調べていたらば、
当然だけどカリウムだの豆類だの穀類だとかになり、そして自ずとそば粉だのライ麦だのが出てきたわけで。

ライ麦といえばプンパニケだ!
ってことで久しぶりにプンパニケが懐かしく思い出されたのです(*´∀`)


超個人的なむかし話で申し訳にゃいデス(≧∀≦)


ではまた(*^m^*) ムフッ
ジャ-ネ-♪(o・ω・o)ノ))ブンブン!!




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