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透析が趣味になるまで(前編)

Category透析ピープル

まーちょっと言いにくい話になるんですけども、
わたくしまるにゃん、3~4年前は「できるだけ早く死ぬこと」しか頭にありませんでした。

結婚145日目にまるにゃんを未亡人にした夫は、2001年の彼の誕生日の3日後に虹の橋を渡ったわけでしたが、

まるにゃんそれ以降、ずーっと、
ほんの3~4年前まで、
ほんとうにずーっと、
彼がいなくなった人生が許せませんでした。




彼を許せないのではなくて、彼がいない毎日を生きなくてはならないまるにゃん自身を、どうしても許すことができなかったのです。










まるにゃん、まだ生きている時の彼に言ってしまった言葉があります。

病室の外でふたりでいる時、まるにゃんと夫のそばを、ストレッチャーがゴロゴロと通り過ぎていきました。
ストレッチャーには、すっぽりと白い布が被せてありました。
それを数人の白いユニフォームの女性が囲むようにして押して歩いていました。

ストレッチャーが見えなくなってから、まるにゃんの新婚ホヤホヤのだんなさんは、こんな質問をしてきました。

「おれがああなったらどうする?」














彼の声は、なんというか、
無理してふざけたトーンにしたのか、
それとも、もっとふざけたトーンにしたかったのに、失敗して少し震えたような声になってしまったのか、
どちらともわからないような雰囲気の声でした。

けどどちらにしても、「無理をした」のがハッキリと 、まるにゃんにはわかりました。






喉が1秒で砂漠のようにカラカラになって、
あろうことか、いちばん

たぶんいちばん最悪な返事を、まるにゃん彼に返したのです。












「一緒にああなってあげる」














これがね、
もうとにかく救いようのない大失敗だったことは、すぐに証明されました。



まるにゃんの大事な大事な人は、まるにゃんの顔を穴があくかと思うほどじぃっと見たかと思ったら、
数秒後、まるにゃんから目を離し、
どこでもない中空を、どこだかわからない、たぶん空気と空気の継ぎ目かなんかを、
ただ黙って眺め始めたのです。





生まれついてのように何も話さず。

眠ったみたいに動かず。














「病室、戻ろうか」


彼がそう言ったのが、100年も経ってからのように感じました。

私はいったい、さっき何を言ったんだろうと、

茫然からさめることができないまま、

彼のあとについて歩き……










もうその後のことはなにも思い出せないのですが……(´-ω-`)






















まるにゃんこの出来事が、
ずーっと忘れられずに数年前まで自分を許せなかったのです。








(´>∀<`)ゝ))エヘヘ

くだらないんですよ。




「一緒にああなってあげる」って言ったのに、約束を守らなかった。







そういうことなんです。







子供みたいでくだらないでしょ?








だけど、ずっと、

ほんとうに馬鹿みたいにずーっと、

2001年の6月4日からずーっと、

約束を守らなかったことが苦しくて苦しくて、

自分がイヤでイヤで、




彼が、

とてもとてもかわいそうで。

















でね、2年後の2003年に、インフルエンザからいきなり腎不全が進行して透析になるわけですけども、

透析になった時にふつう抱くような葛藤や悩みは、まるにゃんにはいっさいなかったのですよ。












透析になったまるにゃんの思いは、こうでした。







どうしてよりによって透析なんだろう、

どうして彼とおんなじ、数ヶ月しか生きられない病気じゃないのだろう、

どうして、生きられる病気なんかになっちゃったんだろう。












そんな思いしかなかったものだからか、

いまだに、透析に対しては「死にたくても死ねない」というイメージしかないのですね。
基本的に。




こんなこと言っては、透析になったことで悩み苦しんできた人にはすごく申し訳ないのですが、

透析になった、それだけでこの世の終わりのように絶望する人の気持ちには、
まるにゃん実はうまく共感できないのです(´-ω-`)






朝から晩まで苦痛と共に寝起きしながら、治療しても治療しても1年は生きられないとわかっている病気と、死ぬまでの3ヶ月半、いっさいの泣き言を言わず戦いぬいた人を知っていると、

透析相手に、どんなに頑張っても絶望はできないのです。











「透析になると寿命は10年ですよ」




まるにゃん幸いなことに(?)そんなおもしろいことを言われたことはないのですが、

もし言われていても、なんのショックも受けなかったと思います。




透析をするだけで10年も保証されるんだなーと、

ただ無感動にその言葉を受け止めたでしょうね、たぶん。









まーこれは、まるにゃんの独特なケースですからね。

「透析くらいでギャーギャー言うんじゃないよ」

なーんて、まるにゃん以外のみんなに言いたいわけじゃないのです。


決して。





まるにゃんのcaseとして、ちょっと書いてみているだけです。

透析に対して、まるにゃんちょっとひねくれてこんな風に受け止めております、

っていう個人的なことの告白です(*´ω`*)




























「早く導入してよかったと思いますよ」

「透析したほうが何でも食べられますからね」









このドクターは何を言ってるんだろうか( ¯•ω•¯ )




と、まるにゃん率直に思いました。

だって私の夫は、入院してから死ぬまでの3ヶ月半、なにひとつ食べられなかったのに。

なのに私は、今よりもっと食べられるよと言われている。





透析して、今より食べられて……


つまりなかなか死ねないということ。






















そんな思いのまま、コソコソと彼の元へ行こうとトライしては失敗し、

それを繰り返しながらもやっぱり死なずに生きているものだから、

周囲も腫れ物にさわるようにまるにゃんを扱うのをやめられるはずもなく、







けどそれも、ほかのすべても、
なにもかもがガマンの限界にきて、

夫と暮らした町を逃げるように出たのです。



それで大阪にきたんですね(*´ω`*)

2009年の4月でした。









大阪にきてすぐに、透析離脱になりました。

まるにゃん大阪でもやっぱり不良透析患者で、透析をボイコットしてばかりいました。

透析ボイコットすればするだけ、早く死ねるかなーと、

ま、そんな安易な考えがありました。


(ホントそうだったんですよ。異常ですよね(´-ω-`))







まるにゃんの大阪での最初の主治医せんせいは、
雇われ院長さんでした。
雇われという立場もあっただろうけれど、あまりに真面目で、まるにゃんのボイコットに辛抱強く付き合うほどの包容力(=いい加減さ?)の持ち合わせがなく、




「透析がそんなにイヤなら内科にいきますか」




お付き合いができてから4ヶ月めのある暑い金曜日の午後。
ついに(まるにゃんの思惑どおり)、雇われ院長先生はその言葉を口にしました。




「お願いします(人´∀`*)」




軽薄まるにゃん、雇われ院長を急かして腎臓内科の先生を紹介してもらいました。








(「後編」へつづく)







では´ω`)ノ




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